「人としてクズだけど曲はいいよな」っていうのが認められる世界がいいな
評価というものはその被評価対象の項目ごとに独立して行われるべきである。
また同時に、その人の持つ評価基準を主として独立して行われるべきである。
なんか急に難しぶったことを書いてしまったけど。変な時間に目が覚めてしまって手持ち無沙汰なので、最近思うことをいっぺん文章化しようかなと。
言いたいこと
長くなってしまったので下で言ってることを簡単にまとめます。
・その人の人間的な部分の評価でその人の制作物を覆わないでほしい
・あなたの考え方はわかるから、それを私にまで強要しないでほしい
・そういった考えをする人に自分の曲を聴いてもらうために
あの人は最低な人間だから
あの人の作る曲もどうせ悪いだろうって考え方があるじゃないですか。俺アレ嫌いなんですよ。
同様に、
「この曲カッコいい!きっと作曲者(バンドだったら演奏者)は素敵な方なんだろうなあ」
「人間として出来ている人だから、この人が作る曲もきっといいものに違いない」
など。いや違うでしょ、別もんでしょうと。
ごくごく当たり前の話なんですけど、『人間性』と『音楽性』は関係こそしてくるものの『良さ・悪さ』に関しては比例的な関係はありませんよって話。こうやって文章にすれば当然納得できるところだと思うんですよ。でも実際は違う。
例えばスキャンダルを起こしたアーティストの作品の一部を切り取って「ホラ、ここの部分は不祥事である部分と関連がある」だの。
例えば薬物検挙されたアーティストの作品を引っ張ってきて「キメていたからこそ書ける独創的な世界」だの。これちょっと違うか?まあいいや
ようは「一緒にするな」って話。
ここの会社は一度重大な問題を起こしているから
「私この製品買わないわ。」それはOK、ご自分の主張をしっかり持っていただいて構わないところでございます。
「あなたもそういった問題があったことは知っておいたほうがいいわよ。」それも問題ないですね。一事実として知っておいたほうがいいということもあります(これは度が過ぎるとちょっと厄介ですけどね)。
問題なのは、「だからあなたも買うのをやめなさい!」ってことだと思います。
うるせ~~~勝手にさせろ~~~ってことですよ。こっちは「製品の質(おいしさとか)」と「会社の過去」を区別して評価したいんだよって。
勿論これには問題もあります。その「会社の過去」が「製品の質」に関わってくるものだった場合、その2つは独立した評価を下すのは難しいところだと思います。それでも俺は別々に考えたいなって。過去に問題を起こしたとして今も企業としてやっているというのは、その問題を(何らかの方法で)乗り越えたということに他ならないから。じゃあもうそれでいいじゃん、それでOKってことにしようや。って思います。
正当な評価とは
俺は人やものを評価するときに、はじめは何もフィルターを通さない状態で評価したいなと思うんです。
例えば誰かが作った曲を聴くときとかも、可能であれば「誰が作ったか」というデカいフィルターも外して聴きたい。なぜならこのフィルター、一度つけてしまうと外すことが非常に難しいからなのです。
ほんで「誰が作ったか」というフィルターは非常に大きいので、他の色んなフィルターもついてきます。それが「その人自体に関する情報・それに対する評価」です。「この人はどんな性格で」「何歳くらいで」「どんな環境で作っていて」「過去にどんなものを作っていて」とかがついてきます。
フィルターの上でポジティブな意見が出てくると、その曲自体も「きっといい曲なんだろう」というフィルターをかけて聴いてしまうんですよね。逆も然り。悪い評価が散見された場合、「どうせくだらない曲だろう」ってなってしまう。このフィルターは自分で作り出したものなんです。
でも実際のところは「誰が作ったか」というのを隠して聴くのは難しい話なので。出来るだけ「フィルターを自己生成」しないようにしようと。そう思います。
またこれは上とは完全に矛盾するんですけど、「誰が作ったか」というのを重視して聴くこともあります。これは分析の一種だったりするのですが、特に「その人の特徴」を見つけたいときとかはそういった聴き方をしますね。またその人があるジャンルに精通してる場合なら、その人を聴いていけばそのジャンルのとっかかりになるというのもあるし。
さらに対立意見が自分の中で出てきたので書いておきます。作品の形として「曲単体を聴くものではない」というものもありますよ!って話。
例えば俺が好きなプログレッシブロックというジャンルでは、1枚のアルバム中に世界観を形成して、一曲ごと聴くのではなくてアルバム1枚を通して聴くことで世界観を理解することができる「コンセプトアルバム」という制作形式をとっているアルバムが多々あります。その場合は勿論曲単体での評価は適正ではないということになります(その中でも単体でカッコいい曲とかもあるけどね)。またその世界観の説明を補佐する役割としてアルバムジャケットだとかブックレットとかが存在します。それも含めて評価をするのが、この場合の「正当な評価」になります。
ようは、「余計なフィルターはかけない」「自分で作り出したフィルターは外せるようにしておく」ということ。
勿論これは俺の考え方なので
これを押し付けるわけではないです。だけど、こういった物の見方をしている人が非常に多いと思います。それは決して悪いことではないけど、俺は好きではないだけ。
だからこそ、そういった人達に聴いてもらえるためにも、自分の曲を紹介するときは出来るだけカッコつけたい。フィルターなしで曲を評価してもらいたいという気持ちもありますが、それ以前に聴いてくれる人の数が少ないと評価もクソもありゃしない。パッと見で見栄えがいい曲の方がそうでない曲と比べても手が伸びやすいと思うんです。曲自体の出来は別として。
今は自分の曲をとにかくいろんな人に聴いてもらいたいので、そういった体裁の面も整えていくのも一つの制作活動なんだろうなと思っています。こっちでフィルターをうまいことかけてやる作業。